前回は、退院2~3日目でガスレンジが壊れた事での毒親話。
今回も、電化製品が壊れた話しと毒親話。
ガスレンジが壊れてから1週間。
今度は洗濯機が壊れました。
不思議なものですね。物が壊れる時は続くものです。
前回、しんどい思いをしても親の要求に対応してしまってからは、「しんどいね。今度は私達がなんとかするわ。」という言葉など気遣いを期待することは、もう出来ないんだという事を思い知らされました
気付けば、私が全てするのが当たり前という、手術前の自分達の思う様に動かせる都合のよいロボットに戻っていました。
私の中ではそれが普通の日常だったので、もう、疑問に思うことすらありませんでした。
家庭の中で起こる事はどことも比べようがありません。
断ればいいではないかと思うかもしれませんが、その環境しか知らなければ、生きづらさがあってもそれが当たり前になってしまうのです。
ところが、今の生活に疑問を抱くきっかけが訪れました。
それは、手術も終わって少し動ける様になり、この病気を大変なものと捉え段取りをしてくださった隣り街のクリニックに、お礼を言いに行った時の事。
感謝の言葉と「お陰様で、子ども達に助けてもらいながらですが、両親の食事の支度やら面倒をみることが出来るようになりました」と。
私の中では当たり前の事を言っただけでしたが…
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